昭和52年に北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(当時13歳)の父で拉致被害者家族会の前代表「横田滋(よこた・しげる)」さんがお亡くなりになりました。
めぐみさんとの再会をひたすら願い戦って来られたのに、本当に残念です。
今回は拉致被害者家族の中心として長い間、尽力をつくされた横田滋さんについてお伝えしたいと思います。
横田滋さんの学歴(経歴)・職業は?
学歴・経歴
横田滋(よこた しげる)
生年月日:1932年11月14日
出身地:徳島県徳島市生まれ
学歴:北海道札幌南高等学校
妻:横田早紀江(よこた さきえ)
娘:横田めぐみ
息子:横田拓也・横田哲也(双子)
横田滋さんは徳島県出身ですが、11歳の時に札幌へ転居されています。
職業・拉致被害者家族会代表への経緯
横田滋さんは高校卒業後、日本銀行札幌支店に入行。
1962年、名古屋支店時代に知人の紹介で早紀江さんと知り合いご結婚。
その後、本店・広島支店勤務を経て1976年新潟支店へ転勤。
翌年1977年娘めぐみさんが中学1年生の時、下校途中に行方不明に。
20年後の1997年めぐみさんが北朝鮮に拉致されたとの情報が。
直ぐに拉致被害者家族連絡会が結成され代表となる。
体調不良で代表を退くまで政府への要請、マスコミへの対応など精力的に活動をされました。
横田滋さん 晩年の病気はパーキンソン症候群?!
吉田滋さんは平成17年に血小板の難病を患っていることが分かりました。
また、長年の疲労も重なって家族会の代表を退きましたがその後も定期的に検査を受けながら公演などの活動を続けていました。
が、晩年はパーキンソン症候群のため身体が硬直していき足腰の衰えに加え会話にも詰まるようになってしまい平成28年3月を最後に講演活動なども出来なくなってしまいました。
平成30年4月体調を崩し食事が喉を通らなくなった横田滋さんは川崎市内の病院へ入院。
管を通し直接栄養を胃へ入れる「胃ろう」処置を行い、めぐみさんとの再会への希望を支えにリハビリや治療を積極的に行い頑張っていました。
しかし、2020年6月5日 横田滋さんはついに力尽き帰らぬ人となってしまいました。
死因は「老衰」とのことです。
【参考】パーキンソン症候群とパーキンソン病は別の病気
パーキンソンと聞くと全部パーキンソン病と思ってしまいがちですが、症候群とは別な病気です。
パーキンソン病とは
脳にある特定の神経細胞がダメージを受け、脱落してしまい主に身体の動きを調整することが苦手になっていく神経変性疾患。
パーキンソン症候群とは
パーキンソン病のような症状をきたす疾患の総称です。以下のような疾患が含まれる。
- パーキンソン病
- 多発性ラクナ梗塞
- 慢性硬膜下血腫
- 正常圧水頭症
- パーキンソン病類縁疾患
進行性核上性麻痺、多系統委縮症、大脳皮質基底核変性症など - 薬剤性パーキンソン症候群 他
パーキンソン病とパーキンソン症候群は症状は似ているが全く別の病気。
最初の診断を間違うと充分な治療効果が得られないので、脳神経外科・神経内科できちんと診断を受け適切な治療を受ける必要があります。
まとめ
今回は「横田滋さんの学歴(経歴)・職業は?晩年の病気はパーキンソン症候群?!」というタイトルでお伝えしました。
めぐみさんとの再会の夢は叶わず、非常に残念ですが滋さんの功績は大変素晴らしいと思います。
奥さん・息子さんたちが意思を継いで今後も活動を続けていかれることでしょう。
本当にお疲れさまでした、ご冥福をお祈りいたします。